引用:聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会
イエスが上って行かれるとき、使徒たちは天を見つめていた。すると見よ、白い衣を着た二人の人が、彼らのそばに立っていた。そしてこう言った。「ガリラヤの人たち、どうして天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行くのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになります。」 (使徒の働き1:10−11)
「心を尽くして 私は主に感謝をささげます。あなたの奇(くす)しいみわざのすべてを語り告げます。私はあなたを喜び 誇ります。
(詩編9編1-2節)
「だれでも神のみこころを行おうとするなら、その人には、この教えが神から出たものなのか、わたしが自分から語っているのかが分かります。自分から語る人は自分の栄誉を求めます。しかし、自分を遣わされた方の栄誉を求める人は真実で、その人には不正がありません。」
(ヨハネの福音書7:17-18)
なぜ着る物のことで心配するのですか。野の花がどうして育つのか、よく考えなさい。働きもせず、紡ぎもしません。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも装っていませんでした。今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。信仰の薄い人たちよ。
(マタイの福音書6:28−30)
ペテロは言った。「金銀は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」そして彼の右手を取って立たせた。するとたちまち、彼の足とくるぶしが強くなり、踊り上がって立ち、歩き出した。そして、歩いたり飛び跳ねたりしながら、神を賛美しつつ二人と一緒に宮に入って行った。 (使徒の働き3:5−8)
あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、今見てはいないけれども信じており、ことばに尽くせない、栄えに満ちた喜びに踊っています。あなたがたが、信仰の結果であるたましいの救いを得ているからです。 (ペテロの手紙第一1:8−9)
イエスは、このような多くのたとえをもって、彼らの聞く力に応じてみことばを話された。たとえを使わずに話されることはなかった。ただ、ご自分の弟子たちには、彼らだけがいるときに、すべてのことを解き明かされた。 (マルコの福音書4:33−34)
知識は人を高ぶらせ、愛は人を育てます。自分は何かを知っていると思う人がいたら、その人は、知るべきほどのことをまだ知らないのです。
(コリント人への手紙 第一7:1b-2)
神はご自分が造ったすべてのものを見られた。見よ、それは非常に良かった。夕があり、朝があった。第六日。
(創世記1:31)
「「神よ 私を探り 私の心を知ってください。私を調べ 私の思い煩いを知ってください。私のうちに 傷のついた道があるかないかを見て私をとこしえの道に導いてください。」 (詩篇139篇23−24節)
「信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、その結果、見えるものが、目に見えるものからできたのではないことを悟ります。」
(ヘブル人への手紙11:3)
「聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」
(使徒の働き1:7−8)
わがたましいよ【主】をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名(みな)をほめたたえよ。わがたましいよ【主】をほめたたえよ。主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。主はあなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病を癒(い)やしあなたのいのちを穴から贖(あがな)われる。
(詩篇 103篇1-4a節)
狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広く、そこから入って行く者が多いのです。いのちに至る門はなんと狭く、その道もなんと細いことでしょう。そして、それを見出す者はわずかです。
(マタイの福音書7:13−14)